【論文】ロプノール核実験と放射能汚染について : ミジット・ホセイノフ(Mijit Husainov)

投稿日 :2016年10月27日


ミジット・ホセイノフ氏

ロプノール核実験と放射能汚染について

 環境問題が日々深刻化し、人類は環境破壊の危機から脱出し、世界的な環境保護、地球と人類が生きて行く上での環境と環境バランスを保つことについて考える情熱が高まっている。
環境レベルの良悪はある国ある地域の経済発展の水準とそして文化レベルを測る上で重要な印になる。中でも所謂新疆ウイグル自治区の環境破壊と環境バランス破壊の問題は著しい。つまりこの地域は放射能と放射線で著しく汚染されている。

 新疆ウイグル自治区の環境破壊の原因は様々である。この10年間を見ても年に放射能が人体に蓄積した事実と、放射能が大気中に事実があげられる。それを引き起こした原因として考えられるものに以下の事実がある。

➀ロプノール地域での核兵器の実験
②軍事目的で行われた核ミサイル実験
③政府関係機関が行った放射能の放出をもたらす実験
④ウランなどの放射性鉱物の採掘・精錬工場を作る。
⑤放射性廃棄物の地上と地下での蓄積
⑥使用済み核廃棄物中のウランやプラトニウムなどを抽出作業


 新疆ウイグル自治区

 新疆というのは中国語の言葉である。1759年清朝が東トルキスタンを侵略した際につけられた名前である。その言葉は新しい境界線あるいは新しい領土という意味になる。そして1955年9月30日新疆ウイグル自治区として設立された。

 19世紀の前半までは中央アジアを通常“西ブハラ(西ブハリスタン)”と呼び、西ブハラの東を小ブハラと呼んできた。中国が東トルキスタンを侵略してから中国語の書籍において新疆と書かれるようになった。⒙世紀と19世紀まで現地の人々には新疆という言葉は馴染みが全くなかった。しかしながら中国は事実を捻じ曲げ東トルキスタンの歴史と文化を中国の歴史と文化の不可分の一部と伝えてきた。
世界の歴史学者と専門家は事実を証拠に基づいて書いている。

 「東トルキスタンが古から中華帝国の一部であったという主張は完全に間違っている」。記憶に留めておくべきことは東トルキスタンに古来より生きるウイグル人などの人種はインド―ヨーロッパ人種であり、政治的に中国の支配下に置かれたのは歴史上ごく最近の話である(『古代と中世の東トルキスタン』ソビエト科学アカデミー東洋研究所1988年科学出版社。

 1953年の統計によると(漢族が大量に東トルキスタンに移住する前)、東ウイグル人の人口は74.7%、カザフ人の人口は9.7%、モンゴル人の人口は2.5%、キルギズ人の人口は1.4%だった。漢族でない東トルキスタンの民の人口は占めて94%だった。『古代と中世の東トルキスタン』ソビエト科学アカデミー東洋研究所1988年科学出版社。

 中国政府は核実験の後遺症を机上計算した上で意図的に新疆ウイグル自治区を選んだ。ロプノールはタリム盆地の東北に位置する。ウイグル人がこの場所で先祖代々生きて栄えてきたいわばウイグル人の揺籠であった。最初にロプノール地域の36×56キロの範囲が実験場として定められたが、後にクムル市からチャルクリックまでの範囲に10万キロ平方の範囲に広げられた。

 1992年3月28日と29日の両日カザフスタンのアルマタイ市でロプノールの核実験に関する国際学術会議が開かれた。カザフスタンの自然環境の放射汚染調査室の責任者のペトシカヤ・ライサ氏がロプノール実験場での核爆発の時期、回数、威力とカザフスタンの土地への影響について報告した。報告には「第一回目は1964年10月16日に5キロトンの核爆発が実験された。大気中のサンプルを調査室で分析した結果短寿命のスズヤ141、ニオビヤ95.セリコニヤとルテニウム103があることを検出された。10月2日に放射性物質ががアラマタイにおいて一万平方のメートルの大気中で270キュリーに達したことがわかった。後に段々この数値は低くなった。
1965年5月に威力20キロトンの核爆発が起きた。この実験で放出された短い寿命の放射線が地上の大気中に瞬く間に増えて二か月間も続いた。


 1966年5月、10月、12月に計三回の核実験が行われた。5月10月に爆発した核のエネルギーが20キロトンに達し、中でも12月の核爆発の放射能汚染が大きかった。
1967年の6月12月に計二回の核実験が行われた。6月の核実験は中国初の核熱爆発(水素爆弾)実験であり威力が2~3メガトン、爆発の時に放出された夥しい量の放射性物質が上空に上がってからゆっくりと低空に落下した。1967年の末にカザフスタンの東の空中にスリコニヤ134、ニオビヤそしてセシウム137が100%、スリコニヤ134が20%あることが検出された。ロプノール核実験場から放出されたガンマ線の量は毎年2500マイクロレントゲン(ラド)だった。

 12月に行われた核実験での核爆発のエネルギーは20キロトンであり、二週間後のサンプル調査ではボロニウム140(?)、ヨウ素131、ルテニウム106などが検出された。
1968年12月29日エネルギーが2~3メガトンの熱核爆発実験(水素爆弾)が行われて、0.115ミリオンキュリーのストロンチウム90、44ミリオンキュリーのトリウム(スリコニヤ)、ニオビヤ95が一挙に大気中に放出された。1969年の前半の段階でもこの核実験の影響でセシウム137のガンマ線粒子がなお80%残っていた。

 1969年9月末にエネルギーが3メガトンの熱核爆弾実験が行われた。この結果上空に0,25キロのストロンチウム90とスリコニヤ、ニオビヤが28.8ミリオンキュリー放出された。

 1970年エネルギー3メガトンの核熱爆発(水素爆弾)実験が行われ、1971年に大量の大気が放射能汚染される結果を生んだ。サンプル調査から今回の爆発でバリウム140とルテニウム103などが多量に検出された。1968年から1971年までの核実験が1972年に空中にセシウム137を放出するガンマ線のエネルギーを毎年4.8ラダまで増加させていた。(1000マイクロレントゲンは0.88ラダ)。

 1972年1月エネルギーが20キロトンの核爆発実験と3月中旬にはエネルギーが200キロトンの核爆発が実験された。今回の実験では上空の汚染が少なかったが、短い寿命の放射線が大量に蓄積された。

 1973年に3メガトンの核熱爆発(水素爆弾)実験が行われた。上空に放出された放射線の量が100~120倍に増えていた。1974年6月17日エネルギーが3メガトンの核熱爆発(水素爆弾)実験が上空で爆発した。1975年の大気中の放射能汚染の原因は1974年の1974年の熱核爆弾実験に放射線放出によるものである。

 1976-年一連の核実験が行われた。1月に行われた地下核実験は地上に放射能を帯びたガスや放射能の灰塵などを舞いあがらせた。

 9月にエネルギーが20メガトンの核爆発が、10月に地下核実験が、11月にエネルギーが4メガトンの核熱爆発(水素爆弾)が上空で実験された。

 1月の核爆発で短い命の放射能汚染がおきた。9月の核実験で一ヶ月前の数値に比べて地上の低空においてセシウム144が16倍、スリコニヤ、ニオビヤ95などが200倍に()増えていた。この核実験のエネルギーは大きくはないが、汚染の程度は高かった。

 11月に行われた核熱爆発実験において放射線が上空に放出されていた。1977年9月に行われた核実験で放射能が周囲の環境に広がる確率が増えていた。ストロンチウム90とセシウム137が3倍、セシウム144が10倍、トリニチウム、ニオビヤの量は7倍に増えていた。1978年3月と10月、12月に行われた核実験で上空から採取したサンプルを分析した結果、ガンマ線を放出する放射線の他にも銀111、ストロンチウム89、エチリヤ9が放出されていることが分かった。

 1981年から1986年5月までの大気中の放射能汚染の原因は1980年10月16日のエネルギー1メガトン(1000キロトン)の核実験の大気中に放出された放射能が低空に舞い降りて大気に混ざった結果である。
国際反核運動「ネバダ・セメイ」の主席オルザス・スライマノワの提唱で1993年8月29日にカザフスタンのアラマタイ市で大規模の国際会議が開かれた。会議でカザフスタン大統領のヌルスルタン・アブシウェッチ氏が「ロプノール実験場での核実験を直ちに停止させるために戦わなければならない。これは中国に対する内政干渉ではなく、カザフスタン国民の健康を懸念すること、中国人民の健康を懸念することであると述べた。
カザフスタン科学アカデミー核研究所の研究員イワン・ヤコウッチ氏がこのような問かけに関して以下の回答をした。

 「中国は45回核実験を行った。半分は上空と地上において、2 .3.4メガトンの実験を6回行い、その総エネルギーが20メガトンに達した。

 カザフスタンセミパラチンスク核実験場における核実験の総エネルギーは16メガトン。

 カザフスタンの甲状腺疾患に関する放射能研究上の統計によると1970年から1989年までカザフスタンのアラマタイ地区において甲状腺疾患にかかった子供たちの割合が30%に増えた。これはカザフスタンにおいて今までもっとも高い数値でありこの問題を討論しないことは犯罪である。国際会議においてこの問題を討論することは隣の国に対する内政干渉ではない、人々の人生と健康のための人道的な運動である」『核爆発の響き』アルマタ1996年イワン・ヤコリビッチ・チャシンコブ。

 この報告に加えてアルマタイ地区とアラマタイ市の1歳未満の子供たちの死因がロプノール実験場での核爆発が原因であったことがグラフで示された(資料1)。
1992年5月にエネルギー150キロトン、9月にエネルギーが70-90キロトンの核実験が行われた。キルギス科学アカデミ-放射能研究室の調査結果によると1992年5月の核爆発直後の5月21日に採取されたサンプルで判明したことはビシュケクにおける放射能が20倍に増えたこと。

 1994年6月10日エネルギーが40キロトンの核実験、9月に60キロトンの核実験が行われた。ビシュケック市の空気をサンプリングした結果、ストロンチウムが4から9まで増えていた。1995年5月15日エネルギー70~90キロ
トンの核実験が、8月17日エネルギー20~80キロトンの核実験が行われた。

 1996年6月8日エネルギー20~80トンの核実験が行われたが、これは中国の44回目の核実験である。1996年7月29日にエネルギー30~40キロトンの核実験が行われ、同年8月ロプノール核実験場での核実験終了したことが告知した。


 キルギス科学アカデミーは毎回のロプノール核実験場の地下核実験の後に放射能の各種類を研究した、計測器でもって一連の核実験によって放射能がキルギズの大地への影響と特徴を調査した。1991年から1997年までの間の核爆発を分析した時結果、核実験が風向きが東から西へ流れる時に施行されたことが判明した。

 その際、東から西へ流れる風(空気流)は、キルギズ、カザフ、ウズベク、そしてタジクスタンの東南を横切っていた(6、7写真)。実際には核爆発が生じた3.4日後にキルギズの調査ポイントにおいて放射能が5~10倍増えていた。そして4日から6日渡ってこの数値が持続した。(8頁 K ケレチョウ教授・キルギズ科学アカデミー)

 以下に、1994年6月10日の核実験を例にとって、キルギズの土壌と空気への影響を検討することにする。軍事機関に所属しているキルギズ、カザフとロシアの科学者たちがロプノールの地下核爆発の影響の研究を行っていた。カザフスタンのタルデコルガン地域、カラコル地域、ナリン地域、アットバシ地域で放射能が検出された。事前に念入りに準備をして調査に臨んでいた。即ち、カザフスタンとキルギズの放射能環境を調査することが目的とされた。

 この国際調査団が行った科学調査の結果は1994年8月26日ビシュケック市科学アカデミーで開催された国際学術会議で発表された。国際会議には300人以上の科学者が参加した。参加者が報告を分析した結果、キルギズの科学者がデータで示し得たロプノール実験場で施行された核実験の新疆ウイグル自治区で暮らしている人々の健康と環境への悪影響に関する新たな一次資料位置づけた。報告書にはキルギズに流れてきた放射能も示されていた。ここでの調査記録は主にキルギズのビシュケク市で値を示している。ナリンとイッスクキョル地区に放射能が多量に流れてくる一方、他の地区での放射能は常に必ずしもそうではなかった。キルギズ科学アカデミー物理院ラジオメトリヤ研究室の責任者イワン・アントニウッチ・ワスリオフ博士の研究に拠ると、1992年3月21日にロプノールで施行された地下核爆発実験の影響でビシュケク市の空気中の放射能レベルが20倍以上になったことが報告された。物理学者でも数学者でもあるケリモフ博士はワスリオフ博士の報告を以下のようにまとめた:「中国はどの日に例外的に風向きが新疆ウイグル自治区方向への東から西へ流れる風であるのかと関係機関に通知してその時のみ核実験が施行された。その結果、放射能を帯びた風はキルギズとカザフを横切っていった」。「ロプノール」と言うこの名が今は危険と悲劇のシンボルになってしまった。

 町の関係者は甲状腺とDNA破壊に関連する病人が増加していることをキルギズの関係機関および議員から事実は懸念すべき状態なのかということについてキルギズの甲状腺と放射能研究所の主席レスブイック・アブドダエワに問い合わせた。彼の答えは「私たちの療養所で放射能の影響で死亡した子供たちのリストがある」これは疑いのない事実である。現在でもナリン地域とイッスキキョル地域の東において罹患した人々の数が2倍から2.5倍に増加して(「キルギズの声」 政府機関紙 1995年5月23日)

 新疆ウイグル自治区における環境破壊のさらなる原因にウランを取り出していることがある。ウランからウラン238を取り出す工場、ウラン238を活性化しウラン239とウラン235を取り出す工場が環境を著しく汚染している。新疆ウイグル自治区は世界でも有数のウランが採掘される地域である。大規模ウのウラン鉱山が2ヶ所、中小規模のウラン鉱山が12ヶ所ある以外150ヶ所にウラン鉱山が新たに見つかっている。これまで判明したウランの量は1万トンと言われている(『新疆自治区のナンバーワン』五十三ページ、新疆青年出版社 2000年)

 ウラン工業で固定と液体の廃棄物は必然的に生じる。これらの放射性廃棄物が未処理で汚染の拡大をもたらした。土壌や水に混ざって、植物や動物の内臓などに蓄積されて最終的には食物を通して人体に入る。ウルムチにはプラトニウム239を生産する工場とウランを活性化する工場がある。

 オゲン河沿いに位置するシャヤルという町にプルトニウム239を生産する工場がある。放射能を多量に含んだ汚染水をオゲン河に放流している。オゲン河の下流にロプノール市とコルラ市がある。オゲン河は新疆でも最大級の湖の一つであるバグラッシュ湖に注いでいる。新疆大学の専門機関誌に拠ると「1997年3月時点で、我が国でも最大規模の淡水湖のバグラッシュ湖の汚染問題が日々深刻さを増している。関係機関の計測では毎年この湖に放流される工業・農業の廃棄水が200 ミリオンキロに達し、最近の十数年においても汚染程度は増す一方である」

 新疆ウイグル自治区における環境破壊のもう一つの原因は「無計画に行われる資源開発とそれに関連する環境保護法が機能してないことである。特に中小企業などにおいては鉱山の開発を違法に進め、資源開発を無計画に進めている。この結果、国が保護指定とした貴重な天然資源は著しく減少し、環境破壊も進行している」

ミジット・ホセイノフ氏